私は〇〇テクニカルオフィスに籍を置いています(誰だか分かってしまいますので、〇〇とします)。
私の仕事を一言でいえば、“派遣現場”の管理です。ずっと其れ一筋です。今は責任者の一人でもありますが、まだ担当ももっています。
会社ではいろんな事業もあるし、仕事がありますが、より具体的にいえば、私が担当しているのは、派遣契約で派遣している人の人事管理、労務管理と、その派遣先のお客様企業との窓口、まあ、派遣スタッフの為の折衝とかです。
目的は会社的には請負にすることを目的としています。請負になった時は、大きな達成感をがありますし、凄くいい仲間ができますし、至る前に思い出もできますが、今日伝えるのは日常のやりがいです。
日常の仕事の中で、一番やりがいを感じるのは、派遣スタッフが辞めたときですね。と、いうと、ちょっと誤解を与えますかね。
派遣社員には正社員派遣と、契約社員の派遣がありますが、主に後者の派遣での話ですが、契約社員で勤務する方は、『やりたいことが見つかった』とか、『派遣先に転籍する』とか、そういう時が多いです。
稀に『突発で行方知れず・・・』とか、あまりうれしくないですね、でもまあ、そういうのもあります。これはあとで話しますね。実はここが、私的には一番になることが多いのですけど。
退職の時に『有難うございます、○○さんに会えてよかったです』なんて言ってもらえたりするとたまらないです。
若いころは、派遣現場の管理で、その現場の“在籍を増やす”、“売上を増やす”というのに価値をおいて、それが最大の喜びでした。
上司にも褒められますしね、今も会社員ですから、そういう気持ちは持っています。
でも、ちょっと気づきました。例えば、転籍でも退職でも、目的を見つけて巣立っていくのであれば、気持ちよく送り出した方が、良いことに。
そういう担当、会社であった方が、結果的に人が集まるし、お互いに気持ちがいい。付き合いも続きます。スタッフであった方とも、派遣先、つまりはお客さんともです。
で、実際、そう思ってからの方が成績もいいです。
まあ本当は気づいたっていうか、会社の方針が『誇りの持てる仕事で適正利益をあげる』なんですけど、それに沿って考えた結果ですね。他にも社長から、社内では、『プロフィットは利益、ゲインはリターンだ、プロフィットを得ても、ゲインは求めるな』と何度も言われていますし、もう一つの会社方針で『信頼』とかあって、それは『信用はものだけど、信頼はひとにするものだ』と格言みたいに、何度も言われていますが、そこからですね。
互いに一番いい形なればいいと、私自身が行動するそれが、お客様とスタッフの信頼につながることで、それに結果がついてきた、そんな感じです。それは“ひとに絡む仕事では、目先の利益や数字、感情より、もっと長い目で物事を見た方がいい”という意味だと、私は思っています。まあ、社長も直接そのように言うこともありますしね。
そう考えて、人に接していくことに、私は誇りを感じています。又そういう風なところに価値をおいて評価してくれる、今の会社に勤務することに誇りを感じています。と、言うと言いすぎですかね。まあ、リクルートに使うというので、ちょっと言っておきます。
で、ここからが本当のやりがいの話。
さっき言いかけた突発退職ですけど、“ある日来なくなる”っていうものです。でも、結果、いろんな手続きで顔を合わせないといけない。そして、合わせることが多いのですが、会社方針の『傾聴…』で接すると、お客さんに申し訳ないのですけど、『しょうがないかな』って思ってしまうことも、結構あります。『え、ダメじゃないか』っていうのもありますけどね。(笑)
理由を聞いていくと、ほとんどが仕事場ではなく、もっと根っこの深い、その人の“生い立ち”や、今の“成り立ち”に関することや、生活、人生におけるものです。
いくつかありますが、思い出に残っている方の一人は、Aさん47歳くらいだったかな、当時は、私より年上です。今も付き合いがありますけど。あれは、私がこの仕事を初めて3年目のことですけど、入寮で、自動車部品メーカーに派遣ではいってもらったのですが、ある日来なくなってしまいましてね。
履歴書でみてはいたのですが、理由は、なかなか話してくれなかったのですが、もともと結構なエリートのサラリーマンだったのですが、デスクワークが嫌になってやめてきたとかそんな理由を言っていました(嘘ですけど、本当は別の理由)、面談しているときから(あ、会社では面接は禁止で面談っていいます、傾聴方針があるので(笑))、本当の理由は違うのかなと思っていました。いくらか、翳のある方だったのですけど、急に来なくなってしまって、その急に来なくなった理由、はじめてここで本当の理由を話してくれたのだと思いますが、こなくなった理由は、職場にいる女の子の笑い方が娘さんに似ているとかなんとか、『はあ、』という感じで当初聞いていたのですけど。
聞いたらいろいろある方でして、まず離婚されていて、そのあと、仕事に手がつかなくなって退職、住む場所も失って、実家に戻れず、うちにきたみたないなのですけどね。
失礼なことに私に『自暴自棄になって、うち(当社)に来た』って言ってました。まあ聞くと、『しょうがないかな、大変だったね』って思っちゃいました。
娘さんは、当時7歳なんです。ただ亡くなられていました。この時初めて知りましたが、まあ、履歴書に乗っていませんからね。
職場の女性は高校を就職されてという方なので、多分20歳前後だと思うのですけど、ただラインが隣であるだけなんですが、そこで倍も生きているおっさんに普通に挨拶してくれて、笑いかけてくれる、それだけなんですが、娘さんに似ている気がして、急にどうしても、娘に会いたくなって、お墓にいったみたいなんですね。
『なんか時間が戻る気がして、何時間もお墓にいた』とかいってましたけど。そのあと、今やったら怒られるのですけど、日本酒をだされまして、朝まで寮で話を聞いてました。でも、全部を知るのはずっと後の話でしたけど、ここでは娘さんが、どんなに可愛かったかとか、そんな話を写真をみながらずっと聞いていました。
まあ、会社にはその時、『話を聞くのは偉い、でも寮で朝までは、今はダメなんだよ。仕事とも認めがたいのだけど・・・そんなの気にしないといけない世の中だからね。』と褒められるような叱られ方をしましたけど、この辺、当社らしさが出ているなと思います。
話を聞いてですが、会社方針に『傾聴の姿勢をもって…』とかもあるのですが、まあ、『人はいろんなものを背負って生きているのだから、一人ひとりの人生には敬意を払って面談しろ、接しろ』と言われてまして、まあ、その通りだと思いました。
そうしたものに気づいて、当たり前にそうしたものに価値を置いて、学びながら生きられる。私は一日一日、そうやって今の仕事を大切にしたいと思っています。スタッフ、お客様との人生、そこからの会話一つひとつを大切にしたいと思っています。
話せないくらい沢山、いろんな話、いろんな人生を知りましたし、軽々しく他人には話せませんが、私自身は、自分が少しずつ、人として成長しているかもなって、実感できることもあります。
その後、数年後で、数年前ですが、突発でいなくなった方のお葬式に行ってきました。7歳の娘さんの話の方ですね。
突発でいなくなって、そこは退職、その後、実家の近くの市営住宅にはいっていて、そこでちゃんとアルミの鋳造工場で、社員でやっていたようです。
言ってみて思いましたが、どうしても寂しかったみたいですね。
エリートサラリーマンとかいておきましたが、実は、この方、元銀行員で離婚原因は娘さんの事故死ですかね、まあそういっていました。
実は、ご本人が亡くなる3年くらい前に、一度遊びに行ったことがありました。どうしても来てくれと言われて、私の父親の墓が●●にあるので、ついで寄ってきたことがありましたが、『いつ越したんだよ』と、何年もたっているのに、ほどいてない荷物とかあって、『まだたちなおってないな”、まあ、難しいよな』と心の中で思いましたが。
葬式にお兄さんと、びっくりしましたが元奥さんがきていまして、初対面だったのですけど、『恩人だって聞いています』と深々とお礼をされました。どうも離婚後、ずっと仕送りしていたようで、実質、その生活をみてきたようです。
元奥さんも一人でした。一緒にいるのがとにかくつらかったとかいってましたけど、ああ何だか知らない事故原因とかあるのだなとか、思いました。それは今も聞いていませんが。
あと、生命保険の受け取りが元奥さんになっていたのと、私も訳があって、私へと形見分けみたいなものをもらいました。
生命保険は、自殺しても保険がおりる年数、それでもそこそこおりる保険に入っていましたね(今そういう保険があるのか、よくわかりませんが、お兄さんがそう言ってました)。ずっと待っていたのかもしれません。
遺書も見せてもらいましたが、『幸せだった』と書いてあったのが、印象的でした。私の名前でお礼があったのは、何とも言えない気持ちになりましたが、良い経験をしたと思っています。
まあ、こういう私を評価してくれる会社ではあります。