久々の寄稿となってしまいました。全然毎日更新じゃないですね。
時間の流れがとても速く感じます。取り巻く環境や置かれている心が起因しているのか、何とも落ち着かず激しく忙しいように感じるのです。そこまで激務ではないはずだし、それに見合うアウトプットがあるわけでもないのに。恥かしい限りです。
前回、死にゆく者からの言葉という本を紹介させていただきました。死を考えるということは、「生きる」を考えるということ。以前からよく物思いに耽るテーマではありますが、忙しいと感じる折に、自身の無力さと同時に噛み締めたりします。
「生きてることが辛いなら」という、森山直太郎氏の新しい楽曲の内容が話題をよんでいるそうですね。衝撃的なフレーズに賛否両論の模様です。
生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
という、この部分の歌詞の捉え方で、様々な意見があるようです。
素晴らしい・・という感想がある一方、自殺を助長する内容だ・・という意見。
一部のコンビニでは、「この部分しか耳にしない短時間の買い物客もいる」という理由で、放送禁止にしたとか・・。
作者にはもちろん、自殺を助長するなんて意図はなく、考え抜いた上での最大の癒しの表現なのだと私は捉えています。現にこの問題にあたり、作者は「どうか最後まで通して聴いていただきたい」とコメントしているそうです。
私もそう思います。共感できる部分の多い内容です。特に締めくくりは面白いものです。
何にもないとこから 何にもないとこへと
何にもなかったかのように 巡る生命だから
生きてることが辛いなら 嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで 宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ
いかがでしょうか。なるほど!と思いませんか?
でもこういうことが、世間の話題や議論になるなんて、大分、時代は変わったのだなと感じます。
日本の自殺者は年間に3万人を継続しています。交通事故を気をつけていても、その交通事故死をする人より多いわけです。
これは世界の中でも異常な数字です。1位は確かロシアですが、それに僅差で日本が2位だそうです。ロシアは国の状態、時代背景を辿れば「そうなのだろう」という気がしますが、経済大国ニッポンの場合は、一筋縄の理由ではなく、色んなものが絡み合って混乱、交錯した中の渦のようで、深く考えさせられます。
自殺がない国があるそうです。ラオスです。映像を見たことがありますが、昭和初期のような、昔の日本を思わせるような、一見は「貧しい」国です。食事だって今の裕福な日本とは天と地の差でしょう。
ラオスは自殺がない。あっても年間に1人いるかいないか。裕福で羨望の眼で見られるはずの日本は3万人もの人が自殺する。
この違いは何なのでしょうか?どうやら経済の高低じゃなさそうですね。国だけじゃなく、個々人の幸福感だってそうですもんね。
一つ・・ラオスに感じたことは、みんなの笑顔が多い。そして、自然に支えあって生きているということ。ここに大きなヒントがあるように思います。
さて、こんな文章を書き綴っていたら、非常にショックな知らせが届きました。
以前(過去)に介護サービスの利用者だった方が、自殺されたというのです。まだ高齢者にも満たない若い年齢の方だけに、聞いた瞬間は言葉を失いました。
ほとんど寝たきりの状態の方なので、それこそ自殺することさえ大変なことだったと思います。コードを首に巻きつけ、それをベッドの傍にある手すりの取っ手に引っ掛けて座ったまま首を吊った状況だったようです。
生前、障害で言葉を発することも出来ず、メッセージボードでコミュニケーションをとっていた方です。ご家族は介護疲れもあったのでしょう、「こんな状態では辛い。私はもう死にたい」と・・その利用者様の前で口にしてしまうことも頻繁にあったそうです。
何が命を自ら絶った理由かは分かりません。表面的には察しがつきますが、本当の気持ちは死んでしまった本人しか実際には分からないでしょう。
自らの身体が自分でどうにもならず、生きていくには否が応でも家族や、まわりの人達に世話にならなければならない。ただ生きているだけなのに、「申し訳ない とか すまない」という気持ちが常に付きまとう。その上、自分の面倒を身近で看ている人が自分のせいで不幸になっていたとしたら・・そんな愚痴を耳にしたなら・・・・。
想像しただけでその苦しみを感じます。想像を絶する生き地獄だったのかも知れません。

「自ら命を絶ってはいけない 弱い人間のすることだ」とか、教育者ぶった尤もらしい世間的な意見は、何だかとても言えそうにありません。
だって、彼は何度も何度も「小さく死んだ」末で、実際の死を選んだのかも知れないのですから。