この仕事をしてからというもの、毎日いろんな出逢い、学びがあります。
今日も福祉用具の件でおじゃましたお宅で感謝の言葉をいただきました。
足・腰といった下肢が弱っているため、家の中の移動や入浴が大変な状況で、それを補助するような用具の相談で伺ったのです。
座ると立ち上がれないという恐怖から、普段は立ったままシャワーで洗身しているようです。片手で何処かに掴まり、片手で石鹸を付けるのがやっと。浴槽にも何とか跨いで入るものの、立ったまま。つまり、膝くらいまでのお湯に浸かるのみだというのです。
移動も杖じゃままならず、小さな丸椅子を歩行器代わりにして、廊下を「ギーギー」と音を立てながら歩いています。
「年をとってからこんな目に遭うとは。これは『試練』だ」と、笑いながら、しかし叫ぶように言っていました。
やはり不安なのですね。自分で椅子から立ち上がれない・・例えばそんな状況になると、とにかく不安で恐くてしょうがないのです。もし自分がそうだったら・・を想像してみました。だから、訴えかけるようにしてくるのも理解できました。
すごく素直に言うことを聞いてくれます。慌てた時も「深呼吸しましょう」というと一所懸命深呼吸をしてくれます。立ち上がりも補助をし声掛けをすると、とてもスムーズに立ち上がれる。だから思わず「立ち上がりが上手ですね!」と言ったら、「ありがとう、良いこと言ってくれるね。元気が出るわ!!」と嬉しい飛びきりの笑顔をいただきました。
その他、何だかいっぱい「ありがとう」をいただいてしまいました。
先日「卒業」という題で記したブログの中で、高次脳機能障害の利用者さんとのやりとりに触れましたが、その方に所縁のあるポエムとの出逢いがありました。
この方の母親のタンスからみつけたという、一片の紙に書かれた詩です。お母様は現在も特養老人ホームに入所されています。
最近、色んな人生に出逢い、この『祈り』という詩に胸を打たれます。
~以下。
大事をなそうとして 力を与えて欲しいと神に求めたのに
慎み深く柔順であるようにと 弱さを授かった
より偉大なことが出来るように健康を求めたのに
より良きことが出来るようにと 病弱を与えられた
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと 生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
(ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれたー患者の詩)

考えられませんが、ニューヨークの病院の壁の落書きなのです。病の末に人生を悟った人が刻んだのでしょうか。
この詩の書かれた紙・・何度も読んだのか、線や丸の書込みがあったそうです。自分は老い、息子は事故で障害者になった・・・そんな現実にさらされた時に、この詩は突き刺さったのではないでしょうか。
人生は『試練』なのでしょうか。色んな人と逢うたび、そして、昨日の夕方の空を見上げながらそんなことを考えていました。